明日から戦の日々になるでしょう。

戦(たたかい)というのは暴力的な事を指しているつもりは、ありません。

そうでありたくないです。

タイトル名では、今までは戦っていなかった様にとられてしまうかもしれません。

しかし、それは断じてありません。生きるという上で必ず一種の戦いがあります。

僕だけでは、ありません。人間は常に戦っています。

心理学用語に fight-or-flight(【戦い】ファイト or 【逃げる】フライト(原文では闘争・逃走))と言う言葉があります。

簡単に言えば、危機が迫っているときに恐怖に対して、どう答えを出すかが【戦う】か【逃げる】か二者択一するという考察です。

これは動物実験によって証明されているようです。

逃げた場合は命が助かる可能性があるでしょう。でも戦う方を選んだときはリスクがあります。

これは二度になりますが動物実験で証明された、とされるデータです。

実社会ではどうでしょう。危機に対して逃げられますか?

僕は逃げるべきだと思います。

しかし、逃げられる状況は、一種の社会的ルールがある為少ないですね。

例えば会社に勤めていたとして、仕事がうまくいっていない時などに「何故、こんな仕事ができないんだ。」と、上司が軽い威圧をしてきます。

何故、その威圧は許されているのでしょうか。

これは、会社に利益をもたらさないという表向きの理由があります。

しかし、裏の本当の理由があります。

ヤーキーズ・ドットソンの法則と言う法則をご存じでしょうか。

これは、「生物が学習をする時、『軽いストレス』を与えた方がよく学習できる。」と、いう実験データです。

これは、学習を生産性に置き換えても成り立つそうです。

言い換えれば『軽い戦いに巻き込んでいる。』と、言えそうです。

これを元に、会社において上司が部下を威圧することが許されているのです。

勿論学校や塾、スポーツなどでも積極的に取り入れられています。

ここで伝えておかなければならないのは『軽いストレス』下において成り立つというのが実験結果ということです。

過剰なストレスを与えた場合、それを与えなかった場合より学習結果が落ちるという結果もあります。

しかし、僕の私見で申し訳ないのですが、軽いストレスを与える組織は見たことが無いです。そして逃げ道を作らない。

明らかに法則の仕組みを理解していないし、愚弄している。

僕は、これが許されるべきではないと考えます。

そして、これが戦だと言うことに今更気が付きました。

そうなんです。戦っているのです。

でも真の戦いではない。

しかし僕は、社会で生活することになれば戦いに巻き込まれるでしょう。

最後に僕は、抗うにせよ、服従するにせよ、戦うべき理由のために戦います。

暴力なんか使わずに。

あなたは、この世界をどう感じていますか?そんなに悪いものじゃないと、思います。

今日の僕の好きな詩のコーナー

この曲は僕の大好きなYUKIさんが一番苦しかった時に書いた曲なんです。

僕はこの曲が大好きです。

1.

逆さまに見てた 冷たい空
泣いて赤くなる 街を 見下ろした
風に流されて 体ゆだね
笑いとばす 意外にタフ 旅は続くんだ
青い首飾りを ほら あげるよ
毒入りのりんごを 食べてしまえば
ステージの上から 落ちちゃうわ
結びなおしてね
見逃してしまう 歓びの種を
暖かい大地で 育てましょう
流されてしまう 力尽きてしまう
大きな何かに 動かされている

2.
憧れの夢を 魔法の歌を
私は いつでも 観ていられるから
あの人を誘って どこへ行こう
未来を射す 明日へ渡す 手紙をかくよ
間違いだらけと 判っていても
2人は進んでいく つまりそれは
恐れずに 幸せになる
切符を 手にしている
陽だまりのにおい 雨上がりの空
与えられたのなら 受けとめよう
しかられてみよう 愛されてみよう
心の底から 信じてみよう
少し照れて 笑う君が 見えるよ

3.

陽は昇り 沈む 燃えて 茜色
命の音色に 耳を澄まして
実らせてみよう この歓びの種を
愛という 水を 注ぎましょう
陽だまりのにおい 雨上がりの空
与えられたのなら 受けとめよう
見逃してしまう 歓びの種を
暖かい大地で 育てましょう

歓びの種 / YUKI

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