可能性世界の向こう側へ

絵は予測で書けるか、あるいは、決まったものしか書けぬか。

絵には必ず原型のイメージがある。それは、人間が生まれてから書いたイメージを組み立て直している。

つまり、答えはいええ。実際は極少ない可能性の奇跡を書いている。

我々は予測に囚われている。

予測をして良い結果を見出す筈だった、が、しかし、予測の世界から出られなくなってしまった。

心地の良い予測可能性世界はもはや窮屈で苦しい周囲18331978km3の冷たい鉄の檻になってしまった。

可能性が有限の世界になったのだ。

温かかった満ち溢れていたはずの予測可能性世界は更に熱を放射し、冷めていくだろう。

しかし、今、ある意味冷淡なこの宇宙で生き抜くためには可能性世界からさえも出なくてはならない。

宇宙のというのは、我々地球唯一無二の”現在”の高度知的生命体である人類が利用をすれば可能性の出口にたどり着くだろう。しかし、予測上は有限なのである。

可能性の向こう側、可能性の創造に辿り着かなかければいけないのでは無いだろうか。

宇宙のもう一方の側面。無限の側面に触れなくてはならない。

宇宙は規模、物質、エネルギーは無限にある。それどころか拡張され続けている。エントロピーも増大を続けて、この宇宙の地球という星の情報空間の密度も成長をつづけている。

宇宙は何故無から生まれ無からエネルギーを生成するのか。

それは、私から見た想像の過程だが、無というカジノで大多数の不可能な確率にかけなかった存在があったからだと思う。

有という正しく不安定で途方もないくらいの少ない確率に賭け続けた史上最大のギャンブラーがいたのである。

実際、我々は神のような容姿に創造され、可能性を逸脱したもの探し戦い続けている。

画板を筆がすり抜け、沈みキャンパスに描き続ける。

“神は何を信じていたのかということを考えながら”

今回の概要はそれである。

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