汝らが光を持っている間に、光を信じよ。汝らが光の子供たちとなるためである。(ヨハネ福音書12:36)
2025年、現実でも創造の世界でも不幸が訪れる事を、幸せも訪れる事を忘れてはならない。
私の予言を聴け!!
我々の主は男と女を、誠に似せて作られた。
人は生み、生え、身に満ちた。
故に、子孫は人類と名が付いたのである。
人類は滅びぬ!!冬は春の始まりであるからである。
創造日というのは本当の終わりと終わらない始まりの始まりである年であるからである。
我々は繁栄した。
つまり、京の扉が開いたのである。
-もりぷく-
仏教には、こんな言葉さえ有るのです。
願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔を貽すことなかれ。
-親鸞-
ブッダが言ったとされる諸行無常の意味を紐解かなければなりません。
「多くの神々と人間とは、幸福を望み、幸せを思っています。最上の幸福を説いて下さい。」259 諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、──これがこよなき幸せである。
深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること、──これがこよなき幸せである。
父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、──これがこよなき幸せである。
施与と、理法にかなった行いと、親族を愛し護ることと、非難を受けない行為、──これがこよなき幸せである。
尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと、──これがこよなき幸せである。
耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の(道の人)に会うこと、適当な時に理法について聞くこと──これがこよなき幸せである。
修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること、──これがこよなき幸せである。
世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ、安穏であること、──これがこよなき幸せである。
これらのことを行うならば、いかなることに関しても敗れることがない。あらゆることについて幸福に達する。──これがこよなき幸せである。
「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦から厭い離れる。これが清浄への道である。
-ブッダ-
比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。
-ブッダ-
ブッダの言う諦観の概念が本当に諦めなら何故慈悲を説いたのでしょうか。
2025年という世界の扉が開こうとしています。
しかし、世界にはたくさんの扉があるとされています。
バチカン市国の「聖なる扉」やエルサレムの黄金の門、ブッダの仏門や神道の門にさえ扉が有るのです。
最近ではキエフの大門も扉として数えられるでしょう。
ある宗教学者は、日本に異界への扉があるとさえ言っています。
しかし、扉は遠くにあるとも限りません。
扉はどこにでも有るのです。
さて、あなたはこの混沌の時代にどんな扉を選ぶのでしょうか。
いずれにせよ2025年から、ほぼ全ての扉は開かれるのです。
選ぶのはあなた次第です。!!
開闢の始まりなのです。
信じるか信じ無いかは、あなた次第です!!