のび太・ジャイアン症候群についての疑問

のび太・ジャイアン症候群という病名をご存じでしょうか。

これは、のび太とジャイアンは典型的ADHDであり、それぞれジャイアンが暴力性、のび太が注意散漫型の典型的ADHDだと考える医学説です。

ADHDとは発達障害の一種で、脳のドーパミン神経の伝達不足によりできない”為”、自己自制ができない人格障害とは無関係の疾患です。

のび太・ジャイアン症候群という本を医学博士 司馬理英子が主婦の友社を通して出版して書いています。

大阪市立大学の佐々木洋子氏によると、1997年この本が契機となってADHDへの理解が日本で深まったとされています。

https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/111E0000011-2.pdf

この本が気になったので、自分お金出して買って読んでみました。

まず、ジャイアンについてです。

衝動的で、学校では集中力がなく、落ち着きのない、感情の起伏の激しい古典的なADHDを持つジャイアンのようなタイプ(多動―衝動性優勢型)を本書ではADHDのジャイアン型と名付けます。

司馬 理英子. 新版 ADHD のび太・ジャイアン症候群 (p.28). 主婦の友社.

そして、のび太についてです。

一方、のび太は気が散りやすく、とっさのときどうすればいいかわからずうまく行動できません。そして忍耐心に乏しく、じっくりがんばれずに、はじめからだめだとあきらめてしまいます。何か思いつくと、いても立ってもいられなくなります。宿題を忘れる。過敏で傷つきやすい。困ったことが起こると原因を冷静に考えず、すぐ他人のせいにします。授業中でも、宿題をやっているときも、あんなことができたら、もしこうだったらと、ぼんやり空想にふけっています。けれども人の気持ちがよくわかり、やさしい心にあふれています。
 多動を伴わないのび太のようなタイプは、おとなしく表立ってけんかなどの問題を起こさないので「問題児」という従来のADHDのイメージには合わないのですが、不注意優勢型のADHDの基準にあてはまります。このタイプをのび太型としましょう。

司馬 理英子. 新版 ADHD のび太・ジャイアン症候群 (pp.28-29). 主婦の友社

だそうです。

自分は、この解説を読んで正直なところ著者はどらえもんのコミックスの方は一切読んでないか、読んでたとしても一、二冊さらっと読んで内容を覚えていないかなと思います。

そもそも、自分が調べた限りだとのび太は、宿題を忘れた回数は単行本全45巻のうち6回だけだそうです。

出典:https://www.hatosan.com/ensoku/2011/05/post-16.html

それに、のび太はとっさの判断力はかなり鋭い。

のび太は、とっさに何かを考える能力が突出しているからドラえもんの道具をうまく活用できているわけだし、未来の道具なのに仕組みも瞬時に理解できるほどの科学理解をもちます。

というか第一巻一話の時点で、当時概念としては最新のものであったはずのセワシの出生に関するタイムパラドックスについて疑問を投げかけています。

それに、のび太が意思薄弱なのだとしても、作中でもっとも有名な第六巻「さようなら、どらえもん」でも、未来に帰るもう二度と戻らないどらえもんのためにあのジャイアンをボコボコにされながら負けを認めさせています。

他人のせいにする自分の考えを反省した結果、ジャイアンといういじめっ子を乗り越えたのでしょう。

ジャイアンに関しては、学校でまじめに勉強しないというシーンは無かったはずです。

あるとしてもアニメ版ドラえもんで漫画の隠し読みをしていたぐらいで、コミックス版で怠学で授業中に怒られたことはほぼないと思います。

というか、ドラえもんは今年2024年で連載50周年、半世紀たちましたが漫画アニメ映画のび太もジャイアンも学業成績が低位で毎回テストで先生に怒られてはいるが、学校をサボタージュしたことは一度もありません。半世紀で一度もありません。

更に言えば、具体的にどの漫画の巻やアニメの回が、発達障害の傾向として認められるのか著者は一切引用していません。

まあ、それは重箱の隅をつつくだけになるのでそういう観点は置いておいて、

漫画の連載当時から悪の権化のガキ大将とされてきたジャイアンをステレオタイプとする見方は昔からあったし、ドラえもんが浸透した1980年代の学校では暴力的な生徒で排除しようという考えも主流でした。

現在でも、ジャイアニズムをもつ生徒がいない学校を作ろうという試みが行われているようです。

http://scwww.edi.akashi.hyogo.jp/~jr_uoze/1nen/32-1-109.pdf

ですが、しかしADHDのステレオタイプとしてなぜ”のび太”とジャイアンが選ばれたのでしょうか。

たしかにジャイアンは明らかに反社会的です。こんな書き方したくないけども大長編も含めて全巻読んでいるぐらい好きな人じゃないと、少年期のうちに社会から排除したり、一種の矯正や薬物による鎮静も必要と思うのは必然かもしれません。

しかし、ここで発生する人権うんぬんの前にもっと重要な話があります。

ジャイアンはADHDだと仮定してしまえば、結局今回の様に野比のび太も発達障害の範疇にはいってしまうということです。

ステレオタイプとして利用されている。

 子どもたちは日常のさまざまな場面で繰り返し注意を受け続けます。そのような日々が続くと、その子ひとりだけの問題にとどまらず、兄弟のけんかや葛藤、夫婦のいさかいや不和が起き、家庭環境をより深刻な状態に発展させてしまいます。
 彼らの人間性に問題があるのでも、知的能力が劣っているわけでもありません。注意深く自分の行動を考えたり、抑制したりする機能がうまく働いていないという脳の状態から起きるさまざまなこと、それが理解されずにいるために、的はずれの非難を受けているのです。さまざまな批判と叱責からの二次障害はさらに子どもに深刻な影響を与えます。
 食生活や運動などの生活習慣から来る生活習慣病が高血圧や脂質異常症(高脂血症)に発展し、さらには心臓病や脳卒中などさまざまな疾患を引き起こすように、ADHDは将来のより深刻な問題が起こりやすい下地となることもあります。生活習慣に注意することが生活習慣病の予防につながり、ひいては重大な疾患を予防できるように、ADHDも早い時点で発見し治療すれば、さまざまな問題の発生を防げるのです。

司馬 理英子. 新版 ADHD のび太・ジャイアン症候群 (p.32). 主婦の友社.

???

よくわかりません。

この本はジャイアンとのび太の問題行動・態度を300ページある中の15ページほどしか解説していないんです。

しかも、本作からの引用はからっきし0。0ですよ0。

社会からののび太とジャイアンの印象はハッキリ言えば落ちこぼれ弱者と暴力者です。それ以外の印象は興味がない人がほとんどです。

このスキーマを利用すれば病理化できるとふんで、この本を書いたのでしょう。

精神科医がのび太とジャイアンの社会的反応をみて、よくよく調べもせずに児童精神医学のクリニック拡大と向精神薬販売の足掛かりにするためにドラえもんを利用したにしかすぎないと思います。

確かに、多動性が問題で薬で素行が改善する例もあります。

薬を必要とする疾患者もいることはわかっています。

しかし、この二人は薬や診断を受けるほど重度ではないし、そもそもこれは漫画・アニメという著作物です。

ドラえもんの殆どの読者には、のび太が病気なんかではないと確信しているように”事実”病気ではありません。

それなのに、

”のび太のような人とジャイアンのような人は病院に行った方がいいよね”

という、風潮を作ってしまったわけです。

これは、はっきり言ってナチスのT4作戦と構造は変わりません。

病院という機関は、苦しんでいたり、病気により将来の選択肢が狭まるのを防ぐためにある予防・検診・治療するための場所です。

逆になったら困ります。

だから、その子供に有益な方法をとるべきです。

なのにこの本は薬物療法をかなり進めています。

診断基準

DSM-5におけるADHDの診断基準

DSM-5の診断基準には,9つの不注意症候と9つの多動性・衝動性症候が含まれている。この基準による診断には,6つ以上の症候が1つのグループまたは各グループのものである必要がある。また,症状は以下の条件を満たす必要がある:

  • しばしば6カ月以上認められる
  • 患児の発達水準から予測されるよりも著しい
  • 少なくとも2つ以上の状況(例,家庭および学校)でみられる
  • 12歳前に(少なくともいくつかの症状が)みられる
  • 家庭,学校,または職場での機能を妨げている

不注意症状:

  • 細部に注意を払わない,または学業課題やその他の活動を行う際にケアレスミスをする
  • 学校での課題または遊びの最中に注意を維持することが困難である
  • 直接話しかけられても聴いていないように見える
  • 指示に従わず,課題を最後までやり遂げない
  • 課題や活動を順序立てることが困難である
  • 持続的な精神的努力の維持を要する課題に取り組むことを避ける,嫌う,または嫌々行う
  • しばしば学校の課題または活動に必要な物を失くす
  • 容易に注意をそらされる
  • 日常生活でもの忘れが多い

多動性・衝動性症状:

  • 手足をそわそわと動かしたり,身をよじったりすることが多い
  • 教室内またはその他の場所で席を離れることが多い
  • 不適切な状況で走り回ったり高い所に登ったりすることがよくある
  • 静かに遊ぶことが困難である
  • じっとしていることができず,エンジンで動かされているような行動を示すことが多い
  • 過度のおしゃべりが多い
  • 質問が終わる前に衝動的に答えを口走ることが多い
  • 順番を待てないことが多い
  • 他者の行為を遮ったり,邪魔をしたりすることが多い

原因

2023年現在、決定的な原因は不明とされている。双子研究により、原因を遺伝要因と環境要因に分けることができるが、ADHDの遺伝要因(遺伝率)は約76%である[31][32]。ADHDの子供の兄弟姉妹は、定型発達者より3倍から4倍ADHDになりやすい[33]の神経回路の一部に定型発達者と異なる特徴があることまでは確からしいが、その部位は仮説の域を出ない[30]。遺伝以外の重要な環境要因は、胎児期の薬物、アルコールおよびタバコの暴露、周産期の問題、そして頭部外傷である[34]。2020年に発表されたADHDの環境危険因子、保護因子、バイオマーカーに関するメタ分析によると、危険因子として確実性が高いのは妊娠前の肥満皮膚炎子癇前症、妊娠期のアセトアミノフェン暴露であった[35]。危険因子の疑いが強いものは、妊娠期の喫煙小児喘息、妊娠期の体重超過、ビタミンD不足などであった[35]。それら以外にも貧困、教育様式、社会福祉、性的虐待、睡眠不足、食品添加物、携帯電話の使用など様々な要因が相互作用しているという仮説も提示されている[36]

薬の副作用

メチルフェニデート

メチルフェニデート

メチルフェニデート服用の一般的な副作用として、眠気不眠、食欲低下、不安増大、神経過敏、消化管症状、眼圧亢進、頭痛、口渇、目のかすみ、嘔気、肝機能障害、中止時の悪性症候群などがある。

日本の医薬品添付文書では、警告として依存リスクを管理できる医師などのもとで用いることが記され、禁忌として、精神では過度の不安、緊張、興奮、重度のうつ病、身体では緑内障、甲状腺機能亢進、不整脈、狭心症、運動性チック、褐色細胞腫が挙げられ、薬剤相互の禁忌には14日以内にモノアミン酸化酵素阻害剤 (MAOI) が投薬された者がある(非可逆的MAOIでは阻害作用が元に戻るのに2週間かかる[38])。これは、アメリカの添付文書では、警告として、心臓の問題のある人々における突然死のリスクや、血圧上昇作用による高血圧について記されている。

リタリンは眠気が”5%以上”に認められる[1]。これは睡眠障害への適応を有するメイラックス(ロフラゼプ酸エチル)の”5%未満”よりも多い[39]。自動車の運転等危険を伴う機械の操作には従事しないよう注意する。

長期間の使用による影響

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2005年の報告では、ラットに長期間メチルフェニデートを投与すると、投与を中止した後にも報酬に関連した行動に変化がみられ、神経に可塑的な変化が生じていることが推測された[40]。ヒトにおいても認知機能に対する同様の影響があるかどうかは、2011年現在のところ不明である。

2005年の研究では、2年間の服用によって、成長、バイタルサイン、健康診断(尿検査、血液検査、電解質分析、肝機能検査を含む)などの臨床的所見に大きな影響はみられなかった[41]

2002年の研究では、ADHDの小児について10年間にわたり頭部MRIを追跡調査したところ、メチルフェニデート服薬群と非服薬群において大脳皮質の容積に差は生じなかったという[42]

成長に対する影響

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成長に対する影響に関する調査も行われており、身長の増加率をわずかに減少させることが見出されている[43]。思春期から青年期には平均に戻るという研究結果もある[44][45]

2006年5月2日付Health Day Newsでは、過去の文献を再評価した結果、薬の服用停止や年齢と共に成長が取り戻せるかどうか判定できなかったと報じている。

アトモキセチン

副作用

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ADHDで使われる他の薬メチルフェニデートとは異なり、乱用性がない[2]

重大な副作用として、添付文書には肝機能障害、黄疸、肝不全、アナフィラキシーが記載されている[6][7]

軽度の副作用として現れやすいのは、消化器系で悪心が31.5%、食欲減退が19.9%。神経系で頭痛が15.4%、傾眠が15.8%の人に見られた。他にも、腹痛や口渇、嘔吐や便秘なども見られる。[8]

アメリカ食品医薬品局(FDA)の有害事象報告システム(AERS)のデータから殺人や暴力など他害行為の報告を調査し、アトモキセチンは6位の9倍であった[9]

アトモキセチンは全ての医薬品の中で、2番目に自殺未遂の報告が多かった[10]

グアンファシン

一般的な副作用には、眠気便秘、口渇、性機能障害頭痛などがあげられる[5]。その他の副作用には、不安低血圧うつ病泌尿器障害などがあげられる[5]妊娠中または授乳中の人への投与は推奨されない[6]

作用機序は、脳内のα2A受容体を活性化し、それによって交感神経系の活動を低下させることにより、効果を発揮するものである[5]

この本が影響した現実の精神病院

学力や犯罪ではない素行不良、果ては居眠りや授業中ぼんやり空を眺めたり、のんびりしたり(本著ではこれをなぜか無気力と呼んでいる。)する登場人物を典型的な脳の病気だと断定し、似た症状をもつ生徒の親はただちに精神科に受診させろと書いているわけです。

ちなみにいまの児童精神科・精神科は、子供に対してインフォームドコンセント(治療同意)を原則とりません。

親が同意すればそれで入院治療やもちろん薬物治療が開始されます。

私はこの本のステレオタイプとして、病気とも思えないような子供たちが毎週病院に通院させられ、家でも学校でも薬を飲まさせられ、どうしようもない位の苦痛を訴えていたのを何十人も見たし、ここには関係ないけど治療を受けなければならない虐待児童が治療費を払えないことを理由に医師・事務が塩対応して追い出して行ったのを直接見てきました。

しかも、顕著な多動が原因でADHDで薬を飲んでいた知り合いは全員、多動なんか治っていません。

「学校という環境にそぐわないから」と、いう考えで一律発達障害の診断をもらえる時代は、この本のように理解力も観察力も洞察力も調査力も問題解決能力もない大人たちが、それぞれの公的機関に問題を放り投げて、二進も三進も行かなくなったから一律子供たちの脳の病気のせいにしただけです。

このあと使う一番引用したい部分も含めるとこれ以上、この本から引用すると著作法で処罰されますので引用できませんが、ADHD薬物治療が日本精神科医学で始まった理由のあっけなさが分かるので買って読んでみて下さい。

持論

人気漫画『ドラえもん』は、30年以上にわたって、多くの子どもたちに愛されています。
『ドラえもん』には、グズで要領が悪いけれど心のやさしい小学5年生の「のび太」と、彼をいつも励まし助けてくれる22世紀からやってきた猫型ロボット「ドラえもん」、ガキ大将の「ジャイアン」、お金持ちで甘えん坊の「スネ夫」、やさしくていつものび太をかばってくれる「しずかちゃん」や、なんでもソツなくできる優等生の「出木杉くん」が登場します。
 授業中にぼんやりし、宿題を忘れ、テストの点は悪く、いつも先生にしかられ、スポーツも苦手の、気のいい甘ったれののび太は、体の大きいガキ大将のジャイアンとお調子者のお坊ちゃま、スネ夫にいつもからかわれ、いじめられバカにされ仲間はずれにされ、くやしがって泣きながら家に帰ってきます。
 けれど、のび太には大好きなドラえもんがいます。ドラえもんは秘密のポケットからいろいろな道具(未来の機器)をとり出し、のび太とともに時間と空間を自由に行き来して、ジャイアンやスネ夫にはできないすばらしい冒険をしたり、まんまといじめっ子の二人に仕返しをしたりして、のび太の溜飲を下げてくれるのです。
 テレビを見ている子どもたちは、のび太に自分の姿を見て共感したり、
「でもぼくは、のび太ほどじゃない」と安心したり、
「ぼくにも、ドラえもんがいればいいのになあ」とうらやましがったりします。
 親たちは思わず、のび太をわが子とくらべてしまいます。

「ほんとうに、のび太ってしょうがないわね」
「ジャイアンみたいな子がいるのよね、困ったもんだわ」
「でも子どもってあんなものよね。いじめたりいじめられたり。そうやって成長していくのよ」
 スネ夫は、ジャイアンに大事なおもちゃを壊されたり、ゴリ押しに負けたりいろいろ不満はあるものの、ジャイアンのごきげんをとっていっしょに行動しています。二人はいつもペアを組んで、なにかというとのび太をのけ者にしていじめます。
 こういう力関係を、一気に逆転してくれるのがドラえもんです。ドラえもんはいつも、のび太の「あんな夢こんな夢を、みんなみんなみんな、かなえてくれる」のです。小言の一つも言いながらも、いつものび太をやさしく見守り応援してくれます。
 子どもたちは自分とのび太を重ね合わせ、未来の科学の世界をのび太といっしょに楽しみます。のび太がドラえもんの力を借りて、ジャイアンたちに仕返しするのを見てすっきりします。
 子どもも大人も、この物語が現実とは違う夢物語だと理解しています。番組の終わりとともに、自分にはドラえもんがいないこと、ドラえもんの便利な道具は持っていないことにあらためて気づきます。

 ところでこの楽しいアニメにひき込まれる私たちは、学校にはのび太のようにいじめられる子がいて、ジャイアンのようにいじめる子がいる。それがあたりまえだと、納得してしまっていないでしょうか?
 私は『ドラえもん』を子どもと繰り返し見ているうちに、想像力に満ち、先端技術にもまさるいろいろな道具やさまざまな冒険に心を奪われつつも、これまではあまり気にも留めなかったジャイアンやスネ夫の意地の悪さ、のび太への情け容赦のなさ、ずるさなどがしだいに気になってきました。
「のび太はグズでのろまだから、いじめられてもしょうがないのだ」というような流れ。それでいいのかしら?
「ジャイアンは、乱暴ないじめっ子なのだ。変えることはできない」。ほんとうにそうなのでしょうか?
 正反対の性格を持つのび太とジャイアンは、ADHD(Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder:注意欠陥/多動性障害)という症候群の二つのタイプのモデルと考えることができます。

以下略

司馬 理英子. 新版 ADHD のび太・ジャイアン症候群 (p.32). 主婦の友社.

SFはなんの略だかご存じですか?

サイエンス・フィクションです。

オタクくさい話になりますが、藤子・F・不二雄の提唱したSFとは「すこしふしぎ」です。

そのなかでも、ドラえもんは理想の未来の世界からやってきた猫型ロボット。

未来にあってほしい道具を、現代に本やテレビやスクリーンを通して見せてくれます。

私は夢物語をF先生が見せたかったのではなく、素晴らしい未来について考えてもらうきっかけとしてドラえもんを作ったと勝手に考えています。

例えばスマートフォンとか人工降雪機とか実現した秘密道具なんて35種類以上あるらしいじゃないですか。

ドラえもんに感化された科学者がNASAやJAXAや今日本を変えそうなスタートアップ企業に沢山いらっしゃるじゃないですか。

ドラえもんをつくろうという会社も研究者も少なくない。

なにが現実とは違う夢物語なんですか。

現実は今を指す単なる言葉です。未来を変えることは可能です。戦争のない社会だって可能かもしれない。ひみつ道具だって作られ始めています。

ドラえもんは、もし今、人類が正しい科学を積み重ねれば豊かな未来がまっていると語っています。

どっちの未来が勝つかは、これからの僕達の頑張りによるんだ!

人にできて、きみだけにできないなんてことあるもんか

-どらえもん-

のび太も呼応してこう述べています。

日本のために働きたい。

分かってるんだよ。このままじゃいけないってことは…。しかし、何度も決心してもズルズルと元へもどっちゃうんだよな…。でも、やっぱり努力はしなくちゃいけないんだよな。諦めずに。

 一番いけないのは、自分なんかダメだと思い込むことだよ。

-野比のび太-

ジャイアン

お前のモノは俺のモノ、俺のモノは俺のモノ!

いつ返さなかった?永久に借りておくだけだぞ!?

この町で、俺にかなうものはいない。俺は王様だ。

心の友よ!

のび太、力をかすぜ!

友達に助けを求められて、知らん顔なんてしてられるか!

言っておくがな、妹を泣かせる男がいたらおれが殺してやる!

俺、歩いてもいいぜ……日本まで。俺がタケコプター落とした時お前、俺の手を離さなかったもんな。

-剛田武-

F先生がいつ作中で剛田武が他者を虐めるとき悪者じゃみえないように書きましたか?

本当のいじめっ子は寧ろ今の診断マニュアルでは、人格障害にはできないのではないですか?

同じいじめっ子のスネ夫も同様です。

どうも、医者になるための面接試験でスネ夫のパーソナリティを評価させる試験があるみたいですが、それも京都大学で。https://toyokeizai.net/articles/-/237153

一体、患者を注意深く観察し、確実かつ適切なミスの許されない判断をしなければならない使命を持った医者が、試験や医学本で引用しているものさえ十分な知見がない。

DSM-5の診断基準で言えばギリギリ野比のび太はADHDの診断はつきません。

ずるい言葉を使ってもグレーゾーンです。

もし、のび太が病気に見えるのなら日本の学生の半分は発達障害になってしまいます。

上記で述べましたがのび太をADHDのステレオタイプにするなら見当違いです。

これは、漫画原作の創作物です。

漫画の設定ではのび太は知能指数自体は平均とされています。

どうも精神科医の解釈だと、のび太ジャイアンはADHD、スネ夫は自己愛に問題アリ、ドラえもんは共依存に当たりますので、まともなのは母親から80点のテストで叱責されてへとへと疲れている静香ちゃんぐらいになるのですが。

もし、これを読んで漫画の設定の話ではない、形態としてADHDの典型例というのであれば、いったいどこを読んでそう思うのかコメント欄にコメントください。

私には、偏見だとしか思えない。

良くて現状維持しかできないのに、大声を張り上げて不安をあおり、製薬会社と結託して未来ある病気じゃないかもしれない子供たちに薬を飲ませる通院させる。学校に報告する。子供は副作用と社会のどぎつい目によって不適切行動をする。さらに薬が増える。副作用。以下永遠に続く地獄。

これが、治療だと思っているなら頭おかしいよ。

なんの役にたってんの?それ、偏見だから。

日本人として心から恥ずかしい。多分反省しないけど。

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