原典解釈の間違った解釈とはなにか。
原典としての意味が履行されず、合理的に至るべきではない解釈が履行されることである。
しかし、カルト教義は原則原典にはあたらない。
過去の原典からこれに入れ替わった状態もまた原典解釈の消滅という間違った解釈にあたる。
如何なる社会的共同体でも権力とミドルアッパー層による直接的、間接的要求で始まり、一種の社会的倫理形態の最終的混乱と呼べるだろう。
特に、間違った解釈が本格的に各社会的階層に配給され始めた時点で、早期の回復可能性はかなり薄くなる。
一度確立された教義の誤解は数百年数千年単位のカルト的危機を招く。
こうなるともはや混乱を止めるには多数のあらゆる資源の犠牲による、無意味さの周知がその最終形態であり、原典丸ごとの消滅かその時点の最大の合理的解釈での原典の復帰が結論になるだろう。
本来原典とはルールと同意義であり、ルールの改定が合理的でなくその上で履行され続けるとなると因習と同じようである。
この場合、理由は一つである。権力(階層は問わない)による統治の為の疑似儀式か、或いは恐怖政治の一環としてであろう。
本来文化や資源の確保の為なら選び変えることが出来るはずだがそれが叶わない場合を除くと、つまり、社会的集団への反社会的な破壊的行為でしかあり得ない。
非合理教義なら多少融通を利かせれば良いがそれが出来ないなら少なからず上か下かがルールを無視し統治できない状態になっている。
初動では社会的集団の構造体の変動が目的になり普遍的な解釈変更であればここまでで、最後まで変えれば破壊行為が目的だと言える。
いずれにせよ初動時から最後まで一貫した目的をもって行うのであれば結論としては社会的集団の文化・文明と所属員の抹殺である。
しかし、それが成り立っている以上、上か下かが先に始めたにかかわらず全体が原典的にはおかしくなっている。
システムに悪影響を及ぼす事が日常的になると最早その集団だけでは当分回復が困難であるし脆弱性も上がる。
解決策としては文化への正しい教育活動がもっとも安全で確実である。
方策としては、学ぶ意思のある者を保護し教育するしかない。