この夜明け前、未明から憂鬱な朝がが来るまでの静かで落ち着いた、時間のゆっくり流れるこの感覚が、僕を静かに奮い立たせます。
まるで僕以外は時間が止まったようなこの感じ、そして憂鬱なのに待ち遠しい朝が来ます。
あのゆっくりと、ゆったりした時間が終わったことに気づくと、とてもとても残念で・・・でも回想するんです・・・そうするとワクワクして終わってもよかったと感じる、そして嫌で惨い世界に出かけて行くんです。
でも、あの時間の感覚ってどう説明するんだろう、と自分に思いました。
例えば、午前三時なんて正直、僕以外起きてないじゃないですか。
生活音がないんです。非日常って表現はずるいけどそうですよね。
夜にたった一人、音楽なんか聴いちゃって、この時間を贅沢に使うんです。
まるで夜の世界のエリートになった気がして。
エリートって孤独じゃないですか、本物は責任とか期待も背負っていると思うんです。
でも、僕の体験するこの時間にはそれはありません。
ただエリートなんです。
なぜかその境遇が僕を奮い立たせて、ワクワクします。
ワクワクも説明したいですね。
例えば自分にしかできないことってワクワクすると思うんです。
難しいテストを解いていい点数なんかとって、よる寝る前に見て自分にワクワクしたり、未明に山なんか登って日の出を眺める。スキルアップのために好きな資格を目指して夜更かしなんかしちゃって。
それを自分の生きてきた境遇と結びつけるとさらにワクワクしませんか。
”自分はできる”
そう思った時って無敵じゃないですか。
それが例え根拠がなくっても。
それは大人という甘美な響きに酔い始めます。
僕はそんな人間もいるんじゃないかと思って書いてるのですが、あってたら人間っておもしろいですよね。人間おもしろい。
その人間の面白さに気づける時間が僕にとってこの時間なんです。
気づくって、心に余裕があると、更に深く感じとれます。
まあ何れにせよ僕はこの時間が好きで、たまに起きてます。
生きるのが下手でも、頭悪くても、ニートでも、クズでもその自分を忘れられるんです。そのゆがんだ心の面積だけ余裕がそこにできます。
だから、自分という人間にもワクワクして、自分外の人間に対してエリートになるんです。
命を吹き込まれた一匹の豚は、禁断の果実を貪り食います。